天草から始まった
2009年 08月 02日
なぜか、どうしてだか分からないけど、「天草に、一度行かなければ」と
心のどこかでずっと思っていた。
今回、熊本・阿蘇へ「水の巡礼の旅」に行くことになり、一日の時間的
猶予があったので、初日に1泊で天草を訪れてみることにした。
なんたって、普段は運転するチャンスがないペーパー・ドライバーで、
免許を取って以来久しぶりに運転したのがずっと海外。
左ハンドル、右側通行の方がよほど慣れている。
そんないつまで経っても”国内初心者マーク”な私は、ナビを使うにも
きちんと使えていなかったのだとは思うよ。
だからって、天草に向かったのに着いたのが熊本城って、どう?
まずは熊本の玄関から正式に入らないとダメ?ということなのか・・・・?
とはいえ、熊本城は築400年を記念して催しがあったり、釘を一本も使っ
ていないオリジナルの建築法を再現し修復した、それは美しい本丸御殿
も見学でき、訪れたことには大満足。
とにもかくにも、細川家にご挨拶できたのは、よかったこと。
(後日、水晶画家の明から、彼の知り合いが地元の名士で細川家にも
親しく、この400年祭をオーガナイズしたことを聞いて、シンクロにちょっと
びっくり)
そして、午後の陽も傾き始める前に熊本城を後に、天草へと向かったの
だがっ・・・・・・・。
天草って遠~い、そして島も大きくって島の真ん中にたどり着く頃にはもう
19時を回っていた。
島と思って簡単に考えていたら、ともかく大きい~~~。
しかも雨は降り出すし、なんでここに来ようと思ったのか、自分を思わず
疑いたくなりましたわ。
たまたま今回、阿蘇を訪れるきっかけとなってくれた、阿蘇で石の店をやっ
ているYちゃんが天草にも家を持っていたので、そこにお世話になることに。
そして次の日は、雨が降ったり止んだりの中を、Yちゃんのナビで効率よく
島めぐりをするラッキーさ。
その日の夜は、
私 「隠れキリシタン関連のところは、行くべきかな~~~?」
Yちゃん 「結構、重いエネルギーも残っているから、行かなくてもいい
かもね」
なんて話をしていて、行かない予定にしていたのに、次の日の朝に
「やっぱり、行っておいても、いい気がしてきたよ」
と、”天草といえばこの2つの天主堂を訪れなければ”というスポットへ連れ
て行ってくれることに。
ちょっとドキドキしながらの訪問だったけど、特に崎津天主堂の方は
「長い時間かけて来てよかったよ」
という感じでした。サルサに似ている猫にも会えたし!
(こちらは、猫のお話の方にアップしますね)
一番上の写真が、小さくて寂れた漁村の羊角湾という湾に面している
天主堂。ゴシック建築とはいえ、可愛らしい建物で、ルルドの泉を模した
小さな祠のある池があり、マリアさまの像が建てられています。
↑この天主堂には、沢山のマルタ十字に似た、全ての辺が等しい長さで
お互いに90度に交わる十字架がそここに見つかる。
この十字架の意味は、既に始まっているともされる「水瓶座の時代」の
象徴。キリストが磔刑になっているキリスト教で一般に使われている、
縦の辺が長い十字架は、現在の私たち「人間」の状態を表している。
その人間が、これから「4つの異なる性質を全てバランスを取り、第5の
力を得ていく」存在へと進化する、という意味がそこに読み取れる。
4つの異なる性質は、4つのエレメント(火、水、土、風)でもあるけれど、
もっと次元空間的なことを指している。
その4つとは、私たちにとって、「時間」、「空間」、「自分という存在」、
「自分以外の存在」のこと。
これらの4つを統合するということは、時空間を越えた、自己と他者の
境のない存在へと変容することだよね。
変容といっても、いきなりミュータントするわけでなく、そんな世界を
基礎とした常識が広まり、学問が発達していく時代が水瓶座の時代と
いうこと。
ちまたで、色んなアセンション本が出回っているけど、Tianの良い子
たちはそんな情報に振り回されないから大丈夫よね(笑)
各星座にはその星座の性質や意味を象徴した絵があるでしょう?
水瓶座の象徴は、成長した人が水が流れ出る水がめを抱えている絵。
例えば、おひつじ座やさそり座のように動物でなく、また人を描いている
中でも、双子座は子供、おとめ座は少女(処女)、いて座は半身が馬、
の中で、唯一水瓶座は成長した人で、水の流れ出る水がめを抱えて
いる。
成長した人は「人間の精神が進化を遂げた」ことを、水がめから流れる
水は、「秘められ隠されていた宇宙の神秘や情報が一般化する」ことを
意味する。
だから、この旅の最初の地で崎津天主堂の十字架を見たことは、私に
とってこの旅が象徴的なものになることを教えてくれていたよう。
そしてもう一つ、この天主堂の云われの中にこんな説明があった。
「隠れキリシタンたちは、生命や財産の危険も顧みず、信仰こそ何物にも
勝る宝であり、幸福の源泉であると堅く信じていた。
その宝を子孫に伝えるため、7人の村人を"水方”として選んだ。
この名前は、水方の仕事の一つである洗礼の儀式から取ったもの。
洗礼の儀式では、魂の浄めのシンボルとして水を注ぐことが必要とされた」
7とは、宇宙が常に繰り返す変換の回数。
つまり人は、7回の魂の浄めを受けることで初めて、水がめから注がれる
宇宙の叡智を受けるハートの器を完成させることができるんだよ。
ここにも「水を注ぐ」という神聖な行為が表されていた。
一つの魂の系統を伝えていく水方は、7人必要。
きっと、小さなところでは地域ごとに、大きく見ていけば日本にも、そして
地球にも7人または7つの水の代表が、次の地球を回していくために
現われてくるのではないかと思った。
そして、私の「水の旅2009」は、この水の象徴から始まった。
次回は、阿蘇のお話です。
↑こちらは、もう一つの天主堂「大江天主堂」
↑大江天主堂のルルドの泉
by tian1761
| 2009-08-02 21:20